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機物神社万葉七夕歌碑除幕式(2008年1月19日)

写真提供:毛利、大崎、鳥居各氏

神殿にて中村宮司様による御祈祷

歌碑の前でお祓い

天の川七夕星まつりの会代表
の経緯説明

岡本三千代様
(犬養万葉顕彰会会長)の祝辞

毛利信二氏による万葉歌の
解説と朗誦

参列者にお礼

大阪府下で32番目
【碑 面】 棚機之
        五百機立而  織布之
         秋去衣 孰取見
【副 碑】 棚機(たなばた)の
       五百機(いほはた)立てて 織る布(ぬの)の
        秋さり衣(ころも) 誰か取り見む
             萬葉集 巻第10  2034
             出典は「萬葉集注釋 巻第十」著者 澤瀉久孝氏による
【口 譯】 織女星がたくさんの機を立てて織る布の秋の着物は、
       誰が手に取ってくれるのであろうぞ
(交野が原の七夕伝説に置き換えると「機物神社の祭神の織女が、一生懸命にたくさんの機を立てて織る布の着物は、1年に1度七夕の夜に逢う観音山公園にいる恋しい牽牛(彦星)のために織っているんですよ」 訳:毛利) 
      *七夕は秋の季語、 *棚機=織女星   


 歌碑除幕式のことが、
 K-CAT、
 京阪タイムリー、
 河北新聞
 などで、とりあげられました。

 万葉集は飛鳥時代の7世紀前半から、奈良時代後半までの約130年間にかけて編まれ、四五一六首の歌があります。
 そのうち七夕の歌は一三二首で七夕の歌のうち織女(棚機女)の歌は十一首あり、その中から機織りに関係する歌を選びました。

 碑面は当時に使用されていた万葉仮名、隷書体としました。

*田村泰秀さんのHP「萬葉集の歌碑」によるとこの歌碑は全国で一九四六番目、大阪府では三二番目となります。







 右記記事は、河北新聞 
平成20年2月1日 第630号より






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