ホームページに戻る

仙台「七夕の絆」 旅の力 目で見る報告書

2011/08/09



01
 仙台市青葉区の繁華街に設けられた特設展示場「祈りの広場」に天の川七夕星まつりの会の展示スペースが準備されていました。
左;技芸展絵手紙会員作品と寄せ書きのミニチュア
右;「七夕の絆」寄せ書きに実物と短冊。スペースが限られていたので順次張替え。


02
03
左側の拡大写真、作品は日本全国は勿論、世界各国からも寄せられていました。
天の川七夕星まつりの会のスペースは会場中心部で世話役テントの前にありました。

04
大阪から直行した夜行バスの疲れも忘れて全員で展示しました。

05
準備が終わらないうちから熱心に見学していただきました。嬉しいひと時でした。

06
東京から来ていた「めざましテレビ」から取材を受けました。

例年と比べた特徴について、質問がありました。
 仙台、東北、日本への応援メッセージが全世界から届けられていることです。
「七夕の絆」活動にも着目してくれました。実は「めざましテレビ」からは2007年開催の交野が原(枚方市・交野市)サミットでも取材を受けましたのでマスコミとの「七夕の絆」の縁を感じました。

0708
  仙台特有の吹流し風飾りは「ブランドーム一番町からマーブルロードおおまち商店街」へとどこまでも続いていました。ところで、今年の仙台七夕まつりのテー マは「復興と鎮魂」でした。七夕まつりが復興を目指す大きな力となったことを目の当たりにすることができました。阪神淡路大震災の翌日、寸断されていた陸 路を避けて大阪港から臨時運行されていたサンタマリア号で神戸埠頭に到着後、三宮へと歩いた時には至るところでビルや高速道が倒壊していました。今回仙台 を訪れたのは大震災5ヵ月後であったとは云え、全くそのような情景は見られませんでした。被災地としては仙台空港周辺と海岸沿いの2箇所を見学しました。
09
この2枚の写真は同じ船と家を撮影方向を変えて撮影しました。
10
 阪神淡路大震災では瓦礫の下で、迫り来る火災に怯えながら3千人以上の命が、東日本大地震では家屋の中で、迫り来る大津波に逃げ惑い遂に命を落とした犠牲者が2万に及んだといわれている。
漁 村では村人が集まって正に鎮魂の儀式が行われていましたが、胸が痛み、心が痛み、カメラを向けることは出来きませんでした。漁船が流されて海岸から松林を 越え、田畑を越え、道路を越えて民家に迫っている写真で想像してみてください。この船を見ていると多くの人が流されて行方不明になった中で、この船は持ち 主のところに帰りついたような気がしました。