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中国に七夕伝説の源流を尋ねる旅─シリーズ3─

2009年4月29〜5月7日

 太倉市(上海郊外)を訪問
 七夕伝説の源流を尋ねて2006年7月31日(旧暦の七夕の日)陜西省・大壕営村(近くの都市・西安)及び2007年8月17〜21日 漢水沿いに武漢〜老河口〜襄樊を訪問したのに続いて今回は上海郊外の太倉市(伝七夕伝説発祥地)を訪問し、市役所の担当者及び古老から説明を受けた。太倉市は長江(揚子江)沿いの漁村で半年以上漁に出ている夫や息子の帰りを待ちわびたことが七夕伝説と結びついたとの説明は民俗学的に興味深い。
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織女庫の前で太倉市の古老と市の職員
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織女像は旧暦七夕に開帳される
太倉市(伝七夕伝説発祥地)を訪問したときの記事がWEBで紹介されたので資料を添付します

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※この記事はPR的で事実と多少違っているところがありますが原文のまま掲載します。
【参考要訳】


太倉市文連と日本七夕文化研究会が「七夕」で縁を繋いでいく
 5 月6日に、日本七夕文化研究会の鳥居先生とかかる専門家一行が太倉を訪れ、太倉市文連の責任者及び太倉民文家協会シニア顧問、文史研究者陳有覚氏と会談 し、中国の七夕祭り(の主人公にたる)「牛郎織女」(牽牛と織姫)に関する諸文化課題について検討した。また、太倉市にある牛郎織女の誕生地である城厢鎮 勝昔村を視察した。
牛郎織女伝説は太倉の独特な文化ブランドであり、さらに蘇州地域を代表する重要な文化財である。牛郎織女伝説は宋の時代から幅 広く伝承されてきた。宋『中呉記聞』、『呉郡誌』及び地方誌においては、牛郎織女が太倉南郊黄姑村に誕生したとの伝説及びこれに因んだ諸記念行事が明記さ れている。全国の関係文史記録の中でこれらはまた最古のものだ。 
現地視察の際に、鳥居氏が太倉文連の職員の案内で勝昔村の黄姑廟の周りを丹念に 観察し、窓から廟内の(織女像の)様子を(ビデオカメラで)記録した。鳥居氏によると、彼が幼い頃から牽牛と織姫の物語を聞いており、長い間中国の七夕祭 りに参加できるよう望んでいた。現在、彼はもう組織者として、この中国伝説の中での、とくに善と美の側面をより多くの若者に伝えていきたいと思っている。
今 回の日中七夕文化に関する交流の意義が大きいと鳥居氏は言う。太倉は七夕文化の伝承地として、その影響が蘇州地域に限らず、中国全土ないし日本までに及ぼ す可能性もある。「七夕」は太倉の「名刺」のタイトルでもあり、日本の七夕文化研究会と太倉市文連のこの「情縁」を今後も継続させていく。鳥居氏による と、今年の七夕祭りの際に、ぜひまた太倉を再訪し、自分の目で祭りの様子を見てみたいという。  (文=太倉市文連)



旅の終わりに
 今回の旅行は「中国異文化体験と歴史調査の旅」2009/4/29---5/7 というタイトルで徐福友好塾のHPに掲載した「徐福伝説の物証を求める旅」と連動している。
旅 の終わりに時間があれば、現役時代(海外営業と購買を担当)にお世話になった旧友を訪ねるのも楽しみである。今回は旧知の松下電工現地社員Lさん尋ねて数 年ぶりに連絡をとって松下電工(中国)有限公司を訪問した。日本を出発した時に2010年の上海万博会場を見学したいと思っていた。丁度Lさんが日本館の 照明プロジェクトを担当していたので概略を聞かせてもらった。
ところで、松下グループは2008年にブランドを全世界でPANASONICに統一 したが中国における社名はそのまま残されていた。松下の中国語読みを万葉カナのように音訳するには無理があったようだ。駐在員も大幅に変わっていたが、米 国、欧州と渡りあるいた大学の後輩が現地駐在していた。パナソニック電工のグローバル化を目の当たりにした。

05松下電工(中国)有限公司 上海分公司 受付



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